「できる」のその先に広げたいこと

モンテッソーリ教育
洗い桶で泡を流す

レッスンをしていると、ときどき、

「この子に、私は何をしてあげられるんだろう」

と思うことがあります。

困っている子や、何かにつまずいている子は、意外とわかりやすい。

今この子に必要なことは何かな。
どんな環境なら安心できるかな。
どこまで手伝って、どこから待とうかな。

そんなふうに、自然とたくさん考えます。

でも反対に、

自分でやりたいことを決められて、
いろんなことが上手にできて、
失敗することもそれほど怖がらず、
「私ならできる」と思えている子。

そんな子を見ていると、

「この子には、こどもやでどんな価値を渡せるんだろう?」

と考えることがあります。

きゅうりの和物づくり

先日のレッスンでも、そんなことを考えていました。

ある子は、自分のやりたいことだけではなく、少しずつ周りの人や環境にも目を向けられるようになっていました。

またある子は、大人から見れば「本来のやり方」とは少し違うことに夢中になっていました。

泡を作る。
触ってみる。
変化をじっと見る。

「そうじゃなくて、こうやるんだよ」と戻すこともできる。

でも、その子が今おもしろがっていることを見ていたら、

「今、この子には、これでいい^^」

と思いました。

正しくできることよりも、今この子が感じていることを、もう少し味わわせてあげたい。

いつもは大人っぽい彼女も、まだまだ感覚や運動がめいっぱい必要な
感覚の敏感期、運動の敏感期、真っ最中だ。

もっと彼女に感覚や運動の体験を与えたいなと思いました^^

絵本づくり

そして、もう一人の女の子は
優等生でなんでもできて自信を持っている子。

そんな「できる子」に必要なのは、
もっと難しいことができるようになることだけではないのかも、と思っています。

自分とは違うやり方をする人も、その人なりにおもしろい。

正解や上手さ以外にも、世界にはおもしろいものがいっぱいある。

いろんな違いがあるからこそ、いろんな強みがあって、弱みがあって、助け合える。

誰かよりできるかどうかではなく、

「私はこれが好き」
「私はこれがおもしろい」
「私はこうしてみたい」

そんな自分自身の感覚を持っていること。

だから、子どもが誰かと比べているように見えたときも、(比べてもいいんですが)

「比べなくていいよ」

と教えるより、

比べる必要がなくなるくらい、世界を見る物差しを増やしてあげたい。

そんなことを考えています。

石鹸がゆっくり滑るのが楽しい

「できない」を「できる」にするだけじゃなくて。

「できる」を、さらに「もっとできる」にするだけでもなくて。

その子が今見ている世界を、ほんの少し広げていく。

自分のことだけだった世界に、誰かの気持ちが入ってきたり。

正しくするできることに一生懸命だった子が、意味もなく泡を作ることをおもしろがったり。

「できる自分」が好きな子が、自分とは全然違う誰かのやり方を「それもおもしろいね」と思えたり。

同じ場所にいても、子どもによって広がっていく方向は違います。

だから私は、

「今日は何ができたかな」

だけではなく、

「この子の世界は、今どちらに広がろうとしているんだろう」

という目で、子どもたちを見ていたいなと思っています^^

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